菅義偉さん、【令和おじさん】として歴史に名を残していますが、若い頃はあまり知られていません。
若い頃は、空手や野球など様々な種類のスポーツの選手に選ばれたこともあるほどスポーツ万能だったとか。
さらに学生時代はアルバイト三昧だったという、菅義偉さんの若い頃を画像とともにご紹介します。
学生時代は空手部でイケメン

菅義偉さんは、大学時代に、空手部・剛柔流空手道部に所属していました。
出身大学は法政大学の第二部、法学部政治学科。
1969年4月に入学し、4年後、1973年3月に卒業。
高鳥修一(衆議院議員)公式ブラグ https://t.co/PxZGj83Rfm
菅官房長官に報告しました。
菅長官は学生時代剛柔流空手部とのことで、お願いして空手のポーズをとって頂きました。貴重な写真だと思います pic.twitter.com/9zSXJPtNkB— Fukushima☢Watch (@yuima21c) February 5, 2016
大学時代、空手部に入部した理由は❝厳しいところで自分を鍛えたい❞という考えからだったそうです。
この自分をストイックに追い込む真面目さは、今も変わっていませんね。
空手では、黒帯の有段者。

引用…Twitter自民党青年局
菅義偉さんの若い頃の写真は数少ないのですが、この写真のコメントには「かっこいい!」というコメントが多くありました。
確かに、目鼻立ちもしっかりしていてきりっとしたイケメンですね。


今は、優しい「令和おじさん」の穏やかなイメージがありますので、空手の経験者とは、正反対のイメージです。
実はあの優しそうな笑顔の奥には、空手で鍛えられた芯のしっかりした熱いが隠れているのかもしれませんね。

今でも日課として、腹筋100回・散歩40分はかかさないとか。
お酒はいっさい呑めないことでも知られている菅義偉さん、ビール腹にもなっていませんし、すらっとした体系をキープしているのも素晴らしいですね。
アルバイト三昧の学生時代
菅義偉さん、生まれ育った秋田県を後にし、東京に集団就職で上京します。
勤務先は、「段ボール工場」だったそうです。
今の地位からは、工場の一員で一日中汗にまみれて働いていた姿は考えられませんが…
菅義偉さんが”苦労して政治家になった”と言われる由縁は、就職時代や夜間大学に通った苦学生時代があるからでしょう。
さらに学費は、築地で台車運びのアルバイトをするなどして貯めたようです。

引用…FNN
働きながら勉強し、自らの心を鍛えるストイックな性格なのがわかりますね。
実家は、秋田県の農家でいちごの栽培にも携わっていました。
菅義偉さんのお父様は、地元のいちご「秋の宮いちご」のブランド化に成功して、秋の宮いちご生産出荷組合組合長や、雄勝町議会議員、湯沢市いちご生産集出荷組合組合長などを歴任されたそうです。
決して裕福な家庭ではなかったと仰っていましたが、実家に頼らずに自分の力で稼ぐ術を身に着けたかったのかもしれません。
法政大学を選んだもの、”学費が1番安かったから”という理由です。
実際、菅義偉さんはたくさんのアルバイトを掛け持ちしていたようです。
・築地で台車運び
・カレー屋
・新聞社の雑用
・ガードマン
など、様々な種類のアルバイト三昧の学生時代を送ったようです。
学費を稼いで自分の生活費にもあてていて、苦労して通っていたのですね。
部活でも空手部に所属し、アルバイトもこなし、法学部の勉強にも精を出し、何足ものわらじを履く熱心な学生だったことがわかります。
菅義偉の若い頃のまとめ
TVでも言及していましたが、菅官房長官はアスリート達の五輪にかける思いを深く理解しています。
ご自身が学生時代に空手を経験していることもあって、2020年には空手をオリンピック種目に!という活動もされていました。
菅官房長官は大学から空手してたのか〜
— どろっぷ (@med_drops) August 30, 2020
空手(?)してる菅官房長官可愛い
— モカ (@moka_rekizyo) August 29, 2020
菅義偉の若い頃に鍛えられた、”礼節を重んじ、自らを律する空手道”の精神で今後の活躍も期待しております。